グローバルナビゲーションへ

本文へ

フッターへ



サイトマップ

検索

TOP >  コラム >  2つの「空格」と長期展望

2つの「空格」と長期展望


2022年11月
富坂 聡
 中国共産党第20回全国代表大会(20大)がやっと終わりました。
 しかし期待していたような画期にはなっていないようです。暑さ寒さも彼岸まで、ではなく「ゼロコロナの我慢も20大まで」とはならなかったようです。そうした不満のはけ口として習近平国家主席の悪口がネットで静かに広がりました。ただし、習近平とは書けません。「空格」と書きます。意味はスペース。書いてもすぐに削除される「空」だからです。
 ゼロコロナへの反発は、景気の問題です。人々の新たな悩みは国務院の人事が来春まで定まらないことです。国務院はまさに経済を担当します。つまり空白の期間が続くと心配なのです。これも「空格」です。
 中国社会を表現する二つの「空格」――。
 しかし、だからといって習体制がヤバい、という話ではありません。20大後も中国の友人といろいろ話しましたが、要するに「経済さえよくしてくれたら、別にいい」ということです。まあ、本音でしょう。
 この感覚は「独裁でブレーキが効かない」、「毛沢東になろうとしている」、「習皇帝」といった日本のとらえ方とは大きく異なります。
 最近私は、この日本人の独特のとらえ方を「天津飯」と呼んでいます。つまり日本では中華料理の代表ですが、実際には存在しない中華料理だからです。
 20大の開幕前、日本の報道には李克強待望論がありました。いわゆる「習降李昇」(習近平が引退して李克強が出世する)です。汪洋や胡春華の首相就任説も流れてきました。
しかし、これらは情報や分析というより、日本人の願望です。ですから日本受けは抜群でしたが、結果はご存知の通りです。
 こうしたことは内藤湖南の時代から続いています。筆者自身も昔、江沢民と対比し朱鎔基を日本の理解者だと語ったとき、中国友人から「朱鎔基は中国人。勘違いするな」と諭されたことがありました。
 なおさら西側の価値観のために晴れの舞台で習近平批判をする元総書記などいません。
 なぜ「天津飯」となるのでしょうか。それは手間のかかる取材から逃げたためです。中国を正しく描くなら中国共産党に深く入り込む必要があります。しかしこれは手間に見合うリターンは望めません。だからみな民主活動家に群がるのです。日本人が大好きな反政府コメントをくれますから。
 このままでは10年後の日本でも「中国といえば天安門と人権弾圧、そして文化大革命」という時代が続くのかもしれませんね。