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危機対応にはリスク分析の考え方を


2020年10月
遠藤哲也


危機管理の要諦はリスク分析にあると言えます。自然災害、疫病、武力攻撃、謀略…国・自治体が責を担う公共に対する危険はあまた存在しますが、一方で対処の為の資金等のリソースには限りがあるので、リソースの適正配分の為、それら複数のリスクを比較しつつ、相対的な危険性や対処の優先度を考える作業=リスク分析が重要になる訳です。基本的には個々の危機の発生確率と発生時被害度を考察して、リスクマップと呼ばれる図(下)を作る形で行います。

「新型コロナ」には、現在、国や自治体から莫大な予算が投入される一方、自粛~準自粛状態の継続により、日本は4-6月期の年率換算で実質GDPが28%減少する経済被害を蒙っています。死者数当たりの経済損失では主要国最大級かもしれません。しかし、こうした現在までの対策には、国防案件(GDP1%付近で予算の攻防が続いてきた)をはじめ、国や自治体が抱える他の様々なリスクに比して、ここまで最優先化し、少なからぬ国民の生活破綻を度外視した戦後未曾有の対価を払って対処すべきものかの精査が為されてきたでしょうか。

東アジア諸国では欧米に比べ「新型コロナ」の人口10万人当たり死者数は随分少ないのですが、日本における「新型コロナ」発生以来8カ月経っての死者は1600人台です。おそらくマスコミの連日の報道が無ければ、大半の人々は病気の存在を意識せず日常を過ごしていた数字でしょう(3月上旬の海外からの渡航制限措置が在る前提ですが)。大半の「検査陽性者」は不顕性(無症状)か軽症で、有症状者の大半は10日以内に治癒し、死者数は上記通りです。その為、現在の感染予防政策は、既往疾患のある人(多くは高齢者)の命を守る為だと頻繁に説明されていますが、毎年、季節型インフルエンザでは1万人、受動喫煙では1万5千人、交通事故では約3千5百人、餅や白飯による窒息では4千~5千人が亡くなります。しかし、インフルエンザや喫煙や餅、自家用車がここ迄の水準で問題視された事は皆無です。現在迄のデータで見る限り、新型コロナの脅威度はごく限定的である上、脅威の客体は人口の一部の層に偏っていますが、脆弱部の重点防御ではなく、全国民への均一的な対策要求により、多くの人々の仕事・生活、そして活き活きと暮らす自由、が奪われています。また、当の高齢者にも自宅蟄居による認知機能や歩行能力の急低下などの事例が出ています。病院での手術中止・延期や救急搬送遅延の問題も生じました。こうした危機対処策が引き起こす負荷を危機管理では「トレード・オフ」と呼び、施策実施前に入念に検討されるべき事です。

危機管理に関してゼロリスクという事はほとんど無い為、危険を指摘しておく方が安全で、危険が小さいとの意見は言い難いという問題もありますが、広範な危機対処にはトレード・オフが伴うので、全体を俯瞰し相対的リスクを判じた意見は重要です。「新型コロナ」についても百年前のスペイン風邪の例を引いて言われるような強毒化の可能性もゼロとは言えないのでしょうが、新興感染症の発生は今後もあり得るのに、根拠データが無い中、「可能性の存在」だけで、これ程の対策を採り続け、出口政策の提示もないまま、人々の生活や社会の自由、活き活きとした人生を奪って良いのか、リスクと対処政策の入念な再分析・再評価が求められるように思われます。

危機対応にはリスク分析の考え方を