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危機管理・安全保障の始原としての城郭


2019年10月
遠藤哲也


近年、日本では城郭ブームがあるそうで、確かに書店にも城郭関連書籍のコーナーが置かれる所もあり、書籍の発刊自体も増えているような気がします。

既存の軍事社会学・軍事社会史、あるいは私自身が以前から提唱していた「安全保障史」というアプローチの中では、軍事への人的動員の考察が重要で、それらの思考の主たる出発点の一つは、ローマ市など古典古代の民主的城郭都市国家に求めざるをえませんでしたので、社会的防御施設としての城郭や城郭都市には長らく強い関心を持ってきました。

例えば、ユーラシア大陸の東西南北を巡って広がる交通要路沿いの地域のうち、北方遊牧世界以外のヨーロッパ、アラブ、ペルシャ、インド、チャイナなどの土地ではどこでも都市を城壁で囲いこんだ城郭都市文化というものが見られます。いつ異民族の襲来を受けるかわからず、敗戦すれば殺戮ないしは奴隷化という結末が寧ろ当たり前のように存在したユーラシア世界の安全保障環境では、今から数千年も前のある時期から、都市自体を防御施設化する危機管理・安全保障施策が営まれてきました。

日本においては、弥生時代に、堀や城柵で集落を防御した環濠集落は見られたものの、その後、城郭都市などの一般住民を守るような社会的防御施設はあまり普及せず、寧ろ、兵農分離が進んだ結果、戦争は戦士階級間限定のものとなり、民衆は手弁当で合戦見物をすることさえできた、といった認識のほうが一般的に普及しているものかもしれません。戦国期の兵卒による戦場周辺住民への各種狼藉は、知られるようになっていますし、戦国末には城下町まで土塁で囲う総構えが見られるようになったとはいえ、それらの事物が全体としてユーラシアの都市攻略戦ほどの凄惨さや構造性を示唆するものとは思い難く、城郭都市文化の不在は、文化や言語の同化や国家統一が進展し易い、適度に大陸から離れた島嶼国家の安全保障環境ならではのものであろうという理解はおよそ妥当であろうとは思われます。

さりながら、ある折に、中世欧州で十世紀頃から盛んに建設されるようになった封建領主の城郭は、周辺農民に安全を提供する機能も帯びていたという記述を目にして、中央秩序が瓦解して中世欧州同様の封建制度が敷衍されていた戦国期日本の城郭にも然様な機能があったのではないかと思い少々調べてみると、戦国史学の研究者にはさほど特別なことでもないらしい知識として、周辺農民が戦時に城郭の外郭に避難し、そこで守兵となることが見られたそうです。手弁当での戦見物というのんびりしたイメージは、少なくとも戦国期日本において普遍的な光景ではなかったか、あるいは、山地に退避した農民らの間にあった緊張感を見落としてしまった模写なのかもしれません。いずれにせよ、日本の戦国期の領民と封建権力の間にも、城郭を仲立ちとする共生関係、受益-貢献関係が存在した事例があるというのは興味深いと思われます。

さて、城郭ブームのおかげで、今、各地の地方自治体で城址の整備が盛んとなっているようです。史跡の良好な保存や、復元の為のより慎重な考証が行われるようになり、観光客も増えて、巷には世代性別を超えて歴史に関心を持つ層が増加するだけでなく、細部に関心を持てば伝統建築や防御思想の理解まで深まる、…というわけで、今後もこの流れが細く長く続くことを祈るとともに、日本の城郭研究も史学任せでなく、地理学、社会学、危機管理・安全保障論など諸方面からの関心が高まることを願う所です。