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「鎖国」の認識と評価


2018年9月
遠藤哲也


一時期、「鎖国」の語が歴史教科書から消えるという報道が流れた事がありました。「鎖国」の語は、17世紀当時は用いられておらず、維新前後からの使用であるし、また、日本は完全に対外的に閉鎖していた訳ではないという主旨からだったようです。時代の政治的都合による大きな歪曲が含まれているようなら修正も必要でしょうが、百%閉鎖していないから鎖国ではないというのは少し無理のある議論のようにも思えます。

また、反対意見には、今でさえ日本は閉鎖的なのに、過去の「鎖国」を無かった事にするなんて、といったものもあるようです。実は以前、「鎖国」という語に付着した否定的イメージが「島国根性」や「出遅れ」の発想の源となり、自分達は世界について無知で非常識であり、だから国際化せねばならないのだと思い込む「強迫」心理を日本人に与えて来た事を論じる一稿を著した事があります。実際には、西洋由来の国際儀礼は在っても、日本人が「外界の人々は皆知っている」と思い込んできたような公共性・共通常識など見当たらず、各国・各民族が自己本位の原理に基づいて、信じる価値や利益を、時に美辞麗句に包み、時に臆面もなく主張しあっているという方が世界の実相に近いでしょう。

今日でも、「第三の開国」などという言葉が政治的スローガンとして採用されるほどに、国内のメディアや各種の言説を通じて摺り込まれる歴史観は、「鎖国」=悪、「開国」=善のイメージであるようです。ですが、欧州列強による非欧州世界の植民地化が拡大した17~19世紀にかけて鎖国政策を採らずに、「おもてなし」の感覚で到来外国船を歓迎、自由居住・移動や、日本人の教化を放置していたら、植民地化はされないまでも、九州は大きく不安定化したに違いなく、後代に及ぶ不安定要素が生じたかもしれません。当時の政権としては、鎖国しないよりはする方が正しい判断だったと思います。鎖国・海禁は国家の対外政策の一選択肢であって、それ自体に善悪の価値は無いのですから。

日々是闘争でなく「調和」が基本的世界観である島国人は、寧ろ他民族に対して鷹揚で受容的な傾向があるようですが、日本においては源平以来、戦士階級政権が続き、太平の江戸期にも、闘争的緊張感を解する層が存続したことが、帝国主義の暴風を凌ぎ得た理由の一つだと思っています。鎖国で外界に無知だった江戸幕府は黒船到来で大慌て、というイメージがありますが実際にはそんな事はありません。幕府は、ペリー到来より以前から、清朝の対英戦争敗北も知って列強への警戒感を抱いていましたし、武士階級は元より庶民の間にさえこうした情報は需要されていました。到来したペリーは、実は開戦権限を米政府から与えられていなかったのですが、精一杯の強面で交渉に臨んだに違いない彼らと会談した幕府側には見抜かれ、「戦意が感じられない」と記録されています。こういう眼力~明敏な文学的洞察力の方が、他言語の流暢や、海外渡航の多回数よりも重要な国際対応力だとも言えます。また、上陸したペリー艦隊の海兵たちを前に、民衆が臆する所も媚びる所もなく、親切かつ対等に接する態度も記録に残っています。こうした態度を自然に持てる人が多いことも国際関係には大切です。

日本人の対外態度に、恐らく鎖国自体の影響はあまり無さそうです。ただ、今日の時代に鎖国の意味を、価値判断を前提せずに再考してみることはきっと無駄ではなかろうと思います。