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2015年の安全保障法制をめぐる議論と2016年の展望


2016年1月15日
佐藤丙午


大きな喧騒の中で、2015年9月に平和安全法制関連2法が成立しました。この法制は非常に複雑な構造を持つと共に、自衛隊が可能となる行動の幅が拡大するため、国民は様々な政治的な思惑の下に繰り広げられる言説に翻弄されたように思います。90年代以降の安全保障論議を振り返ると、第二次安倍政権の進めた一連の改革は慎重かつ穏健なものであり、その意味で今回の安全保障法制を「戦争法」と命名するのは、反対派による政治的な得点稼ぎに見え、あまり知性的な行動ではなかったように思います。

しかし、集団的自衛権の限定容認から自衛隊の活動の幅の拡大、さらには日米安保の強化に至る一連の流れは、秘密保護法や防衛装備移転三原則の施行を含めて、20世紀後半以降の日本の防衛政策の基本構造を変更するものであり、現状維持を好む日本の国民性を揺さぶるものであったのは間違いないでしょう。重要な問題は、これら改革を終着点にすることなく、変化する国際情勢の中で、必要に応じた調整を連続して実施できるか、ということにあります。

今日の国際情勢を説明するものとして、2016年のオバマ大統領の一般教書演説があります。オバマ大統領は演説の中で、「今日の世界において、我々は悪の帝国よりも失敗国家の脅威に直面している」とし、これに効果的に対処するために「国家のすべての構成要素を活用する」ことが必要と述べました。現実に、国家間対立、テロリズム、気候変動、非合法な拡散、国際的な貧困などが連動する状況の中で、課題を軍事力で解決することは不可能であり、外交(対話)、援助、軍事、国際法、規範構築など、国家が保有する能力をシステマティックに運用していく必要があります。

しかし、国家のコンセンサスとして対処する脅威が見えにくいということは、政策を遂行する上で、各種手段を統合した政策を構成する政府の能力に依存する(したがって視野が広く「強い」政治指導者が必要になる)ことになります。また、それぞれの国内では、外交や安全保障とは無関係の国内事情が外交政策を侵食するリスクが高まります。脅威に対するコンセンサスがあった時代は、各勢力の間に国内対立を外交政策まで昇華させないとの見識も共有されていましたが、そうする必要が無くなった時代では、「止め」が機能しなくなっていくのです。

一方で政治指導者の主導性が求められ、しかし反面、国内政治の重力が高まる傾向の中で、各国は様々な安全保障問題に対応する必要があります。2015年の日本は、政策選択肢を増やすことで、秩序形成に能動的に関与する道を拓きました。その過程で、国内政治に大きな亀裂が生じたことは否定できません。これが2016年の日本の政策遂行力にどのような影響を及ぼすのか、注視していく必要があります。オバマ大統領は、国内の団結の重要性を強調しました。この発言の背景には、共和党の大統領候補者のラディカルな主張に対するアンチテーゼを示す必要があったのでしょう。今後、安倍首相がどのように言説と論理で国内を統一していくのか注目されるところです。