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「ファシズム」とは何だろうか?


2015年8月1日
遠藤哲也


この2015年、中国は、「抗日戦争及び世界反ファシズム戦争勝利七〇周年」の語を幾度も用いて、「第二次大戦戦勝国」を称する国の「かつての縁」の想起と日本の疎外を図っているようです。

ジョージ・オーウェルは戦中の1944年、「ファシズムとは何か?」との文章を著して、当時でも既に、単なる「罵り言葉」のレベルに堕して、語義が見えなくなっていた「ファシズム」という語の使われようを戒めましたが、今日の欧米のジャーナリストなどの知識人にも、この語義を考慮してみぬまま、第二次大戦を民主主義対ファシズムの間のイデオロギー戦争と前提し、勝者の善という正戦観に帰結させる、という戦中の連合国側プロパガンダそのままの解釈をしている人は少なくなさそうです。

ファシズム研究においては、ファシズムの語定義が困難で、定説がなかなか定まらないということは大前提です。ファシズム=権威主義的政府・軍人による強権支配ではありません。時代劇にはその手の話が満ちているように、野卑な権力は古代から現代まで無数に見られます。全体主義との混用も多いですが、「個に対する全体の優越」という原義において、ファシズム体制とロシア革命爾来の共産主義体制の間に明瞭な差異は見出せません。上記のような二項対立式の正戦観では、「民主主義陣営」内の全体主義のことは忘却されているようです。

なぜ、ファシズムが定義し難いかと言うと、それは、19世紀になってようやく国家統一を果たし、気を抜けばいつまた分解するともしれない危惧が常にあったのに、一次大戦後に、西の自由民主主義国からは個人主義的「腐敗」や自由放任経済に起因する経済被害を、東からは国際共産主義の浸透や間接侵略を受けて、強い危機感を抱いた独伊両国と、それを囲む当時の欧州に独特な環境から生じた思想もどきの「現象」であって、思想体系などではないからだと私は考えています。

当時の日本には独伊的な国際環境も独裁者も、国家分解の危機感もありませんでした。戦時下の集団統制はどこの国でも見られることで、ファシズムと混同してはいけませんし、ある規範の合理性を超えて自粛したり、過剰に他者に押し付けていくことがある日本人の傾向は、時に今日でも見られる文化ではあっても思想や体制ではありません。いずれにせよ「大部分の西洋の研究者たちは日本をファシズム以外のものであったと考える」(R・パクストン)のが学術的事実であるのに、「日本型ファシズム」などという無理押しの用語が日本国内で創出されてきました。

当時の東アジア地域において、中国の蒋介石ほどファシズムに対する共感を隠そうとしなかった国家指導者は無いでしょう。蒋介石お抱えのナチス・ドイツ軍事顧問団は対日攻勢を訴え、それはドイツ軍の兵器や鉄帽で装備した国民党中央軍によって上海で具現化しました。言うまでも無く、かの国は第二次大戦戦勝国に名を連ねています……。