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デモクラシーの死


2015年5月15日
丹羽文生


4年に1度の統一地方選が終わりました。毎度のことですが、今回も盛り上がりに欠けました。その象徴が投票率の低下です。特に近年の落ち込み具合は異常です。

投票率が低くなっている原因としては、投票日当日の天候、あるいは人々の価値観やライフスタイルの変化に伴って、レジャーやビジネスを優先する有権者が多くなっていることが考えられます。しかし、それ以上に、やはり有権者の政治不信、不満が根底にあるのではないでしょうか。

統一地方選前、全国の地方議会で不祥事、スキャンダルが続出しました。号泣会見、セクハラ野次、謎の政務活動費・・・。これでは投票意欲すら沸きません。

もちろん、選挙権には、「投票の自由」だけでなく「投票しない自由」も含まれます。棄権したとしても誰かに文句を言われる筋合いはありません。ですが、投票率の低下は民主政治の空洞化を生む危険性があります。

有名な政治学の世界的権威であるロバート・M・ハッチンスは「デモクラシーの死は、やみ討ちによる暗殺から起こることはまずない。デモクラシーの死は、無関心、しらけ、栄養不良などによって徐々に進行する消滅である」と警告しました。棄権をするのは決して利口とは言えません。

せめて「白票」を投ずるべきではないでしょうか。確かに白票は「無効票」として扱われてしまいますが、投票するに値する候補者がいないことを意味します。これも立派な一票です。

それでも不服あらば、自ら立候補するのが筋でしょう。投票せずして政治家を批判する、愚痴を漏らすのは言語道断です。

では、投票率をアップさせるための処方箋はあるのでしょうか。例えば、韓国大統領選のように、投票日を平日に充て、その日を「国民の休日」に設定する。エストニアで行われているインターネットを介した投票を実施する。郵便投票の対象者を拡大させる。棄権者にペナルティーを科した義務投票制(強制投票制)を設ける・・・。いろんな方法が考えられます。

ただし、これらは全て技術論で、そこまで無理をしなければ、投票率が上がらないというのは恥ずかしい話です。

今、日本では、かつてのように財産、性別関係なく、ある一定の年齢に達せば誰でも選挙に立候補でき、20歳以上の日本国民なら特殊な例を除いて誰でも投票できます。こうした権利を得るまでには、多くの紆余曲折がありました。私たちの先人が、それこそ血の汗流しながら、ようやく獲得したのです。

アメリカの第16代大統領であるエイブラハム・リンカーンは「人民の人民による人民のための政治」と述べましたが、まさに選挙は国民にとって唯一の政治介入と言えるのではないでしょうか。日本という民主社会に生まれたことの意味を、もう一度、しっかりと噛み締めてもらいたいものです。