グローバルナビゲーションへ

本文へ

フッターへ



サイトマップ

検索

TOP >  コラム >  東南アジア映画がおもしろい、か?

東南アジア映画がおもしろい、か?


2015年4月1日
吉野文雄


東南アジアでつくられた映画や東南アジアを舞台にした映画があれば、なるべく足を運ぶようにしています。楽しめるのもありますが、失望する方が圧倒的に多いですね。フィルムではなく、ヴィデオで撮影する人が多くなって、映画づくりが安上がりになったため、製作本数が全世界的に増えています。一般的に駄作が増えたわけで、東南アジア関連の映画もその例にもれません。

日本映画では、堤真一の出た 「神様はバリにいる」と斎藤工と三津谷葉子が出た「欲動」はどちらもバリを舞台にした映画です。駄作でした。バリ3泊4日〇万円なんていう安いチケットがありますから、観客はバリへの憧れなんて持ってないでしょう。かつて、小林旭が出た「波涛を越える渡り鳥」(1961年)に登場するカンボジアなんか、今でいうと金星とか土星みたいなものです。東南アジアがずいぶん身近になったわけです。

東南アジアでの映画製作は前世紀末に向けて減っていったようですが、上に書いたような事情から、増加に転じたようです。インドネシアでつくられたアクション映画「ザ・レイド GOKUDO」、シンガポールを舞台にしたフィリピン人の出稼ぎメイドを描いた「イロイロ ぬくもりの記憶」なんかは、一定の水準を越えた快作でした。が、「ザ・レイド~」の中心的なスタッフはイギリスとか米国の生まれです。外資系企業頼みの経済成長を続けて、中心国の罠に陥っている東南アジア経済の現状を彷彿させます。

インドネシアの9・30事件を題材とした「アクト・オブ・キリング」、カンボジアのポル・ポト政権下の虐殺を題材とした「消えた画 クメール・ルージュの真実」などという重い作品もあります。個人的な好みですが、深刻な映画っていうのはちょっと腰が引けますね。今年は9・30事件50周年で、研究者はいろいろな催しなどをやっているようですが、映画でやる必要はないんじゃないでしょうか。東南アジア研究者としてはおもしろい二作でしたが、一般の観客に勧められるようなものではありません。

暇にまかせて劇場に足を運ぶことが多いのですが、やはり映画は米国、ハリウッドの感を深くしています。オリジナル脚本の構想力、撮影の技術力、製作の資金力、どれをとっても東南アジアはかないません。しかし、映画というのは標準化された工業製品ではありません。差別化された芸術ですから、ひとがんばりしてほしいものです。私の好きなイギリス生まれで米国で成功したスタンリー・キューブリック監督は、大作「2001年宇宙の旅」で名を残していますが、初期のモノクロ作品なんか、資金はない、スタッフは集められないという状況でも実に凝った佳作を撮っています。東南アジアの映画人には、もっともっと知恵を絞ってほしいと願っています。