グローバルナビゲーションへ

本文へ

フッターへ



サイトマップ

検索

TOP >  コラム >  中国人客で賑わう台湾の「テレサ・テン記念文物館」

中国人客で賑わう台湾の「テレサ・テン記念文物館」


2014年7月1日
丹羽文生


先日、台湾出張の折、「テレサ・テン記念文物館」(高雄市)を見学しました。2010年4月にテレサの長兄・鄧長安氏がプロデュースし、倉庫を改造して建てられたもので、館内には、テレサが生前に使用したステージ衣装や装飾品、小物が展示されていました。さすがは「アジアの歌姫」です。没後20年が経とうとしていますが、その人気は衰えることなく、館内は大勢の人々で賑わい、特に中国人客の姿が多く見受けられました。

「空港」「つぐない」「時の流れに身をまかせ」と次々にヒット曲を生み出したテレサ。しかし、彼女は歌手としての歌唱力のみならず、中国の民主化運動への関わりという政治活動家としての側面が、さらに、その魅力を引き立てているように思えます。

台湾生まれの外省人であるテレサにとって故郷は2つ。それは自身が生まれた台湾と両親の故国・中国でした。中国が民主化される日を夢見ながら、テレサは中国共産党に「精神汚染」のレッテルを張られながらもチャイナドレスで歌い続けたのです。

1989年5月27日、天安門広場で民主化を求める若者たちを応援しようと、香港で開催された支援集会に突然、テレサが現れました。化粧もせず、「民主萬歳」と書かれた白い鉢巻を締めたサングラス姿のテレサの胸には、首から紐で下げたプラカードが掲げられており、そこには「反対軍管」とありました。その姿はアジアの人々に大きな衝撃を与えました。現代ならばツイッターやフェイスブックで瞬く間に全世界を駆け巡り、天安門事件の顛末をも大きく変えたかもしれません。

1995年5月8日、テレサは休暇で訪れていたタイのチェンマイで気管支喘息のため急死します。42歳という若さ、死亡した先が異国の地、しかも彼女の最期を看取ったのが14歳年下のフランス人の恋人ということもあり、暗殺説、麻薬中毒死説といった憶測を呼びましたが、何と言っても人々を驚かせたのは、死後の彼女に対する台湾当局の扱いでした。台湾では本省人初の総統となった李登輝氏のリーダーシップによって、着実に民主化が進められていたことを考慮しても、異例の篤い礼が尽くされたのでした。告別式は国葬並みのものとなり、棺は中華民国旗「青天白日満地紅旗」と国民党旗「青天白日旗」に包まれました。一民間人のセレモニーとしては空前絶後のものでしょう。

今、テレサは新北市にある金宝山墓園で眠っています。その一帯は「テレサ・テン記念公園」となっており、日本人、中国人客で溢れ返っています。テレサの生涯を芸能・文化ではなく、政治的視点を加味しながら見てみると、生理的な死を超えて、彼女の生涯そのものが、今も民主・自由・人権という普遍のメッセージを発し続けていると解釈することができのではないでしょうか。

最後の来日の時、テレサは「私のこれからの人生のテーマは中国と闘うことです」と明言しました。そんな中国では今、テレサ・テンブームに沸いています。ややもすると民主化運動の導火線になるかもしれません。