グローバルナビゲーションへ

本文へ

フッターへ



サイトマップ

検索

TOP >  コラム >  韓国の反日

韓国の反日


2014年2月1日
荒木和博


朴槿恵大統領の「告げ口外交」には辟易している日本人が少なくありません。韓国は官民挙げて反日に狂奔しているというイメージがすでに定着しています。かつての韓流ブームも鳴りを潜め、韓国への旅行者も激減していると言います。

もともとこれは、先代の李明博大統領が一昨年(2012年)8月に竹島に上陸し、その後天皇陛下について「韓国に来るなら独立運動家に謝罪をしなければならない」と発言したことがきっかけでした。日本では韓国への反感が一気に高まりました。

しかし、このとき日本人が怒っていたことは韓国にはほとんど伝わっていませんでした。韓国からすると、「いつもやっていることと大して変わらないのになぜ急に怒るのか。何か裏があるのではないか」という感じです。

このギャップには日韓の国民性の違いが大きく作用しています。キーワードで言えば「堪忍袋」。コリアンには「堪忍袋」という感覚がありません。何かあれば直ぐに反応します。感情表現の率直なのは葬儀などで泣き叫ぶ姿からも分かるでしょう。日本人の文化はできるだけ感情を表に出さないことが良しとされ、意に沿わないことでもとりあえず我慢しなければという意識が働きます。

もし韓国風の忠臣蔵(?)をつくるとすれば、四十七士は吉良上野介の屋敷の向かいに浅野内匠頭の銅像を建て、1週間に一度そこに集まり「吉良を打倒せよ!」とシュプレヒコールを挙げることになるでしょう。昔の東映ヤクザ映画の高倉健のように、理不尽な仕打ちに耐えて耐えて、最後に悪い親分のところに乗り込んで成敗するといった感覚はありません。韓国人の感性を表す言葉としてよく「恨(ハン)」という言葉が引き合いに出されますが、これは恨みを外に爆発させるのではなく、内部でいつまでも不完全燃焼を続けるというイメージです。日韓条約で解決ずみの問題を持ち出すのもこの不完全燃焼が原因のように思います。

韓国人は思ったことを直裁に表現する。しかし日本人は何も反論しないから自分たちの言っていることを認めているのだろうと受け取ります。日本人は「こいつら勝手なことばっかり言いやがって」とストレスが溜まり続け、最後は堪忍袋の緒が切れてしまうということです。

1980年代頃、私たち朝鮮半島研究者は「韓国も高度成長でゆとりができてきたから、もう反日も収まるだろう。根拠のないことを色々言っているが、相手にしないでおけば周囲の国からも批判されて言わなくなるだろう」と思っていました。しかし実際は逆で、ちゃんとこちらの主張をしてこなかったために日韓関係はここまでこじれてしまったと言っても過言ではありません。

かつて私の前任者である故・田中明先生が「謝罪すればするほど悪くなる日韓関係」と言われましたが、まさに現在の状況はそうなっています。今大事なことは目先の摩擦を恐れずに韓国に対して主張していくことでしょう。それは中国に対しても、あるいは米国に対しても同じことですが。