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2013年を振り返って-「ケリーの年」


2013年12月21日
川上高司


アメリカのオバマ政権の2期目が1月にスタートしてほぼ1年が過ました。様々な出来事が起こりました、今年1年をアメリカ外交政策という観点から振り返ってみると、今年はまさに「ケリーの年」だったと言えるでしょう。

クリントン国務長官の後任として着任したケリーは、就任早々に「外交が優先」と宣言し活発な外交を展開しました。最初に訪問したのは関心の高いイスラエルで、その後ロシアのラブロフ外相と絶妙のコンビで、シリア問題からイラン問題まで解決へと導きました。

アメリカの外交政策は国務省と国防総省がしのぎを削るため、伝統的に長官同士は険悪になることが多い。かつてラムズフェルド国防長官とパウエル国務長官の不仲は有名でした。その流れを覆したのがクリントン長官とゲイツ国防長官。2人の仲は親密で、どんなに忙しくても週に1度はミーティングを持つほどでした。

そして今年のケリー国務長官とヘーゲル国防長官はさらに顕著で、それはオバマ大統領の「軍事力より外交優先」という姿勢を体現しています。ヘーゲルは「華やかな舞台はケリーに。私は裏方だ。『ヘーゲルの時代』ではなく、『オバマの時代』なのだ。私は政権の一部にすぎない」と地味な裏方に徹してケリー長官を支えました。

今年6月には深刻化するシリア内戦に取り組むシリア国際会議がジュネーブで開かれました。ケリーとロシアのラブロフ外相が主導しましたが、具体的な解決策は見つからず次回へと持ち越されました。アメリカの強硬派はシリア政府が化学兵器を使用したことを根拠に軍事攻撃を主張しオバマ大統領に圧力をかけていました。

オバマ政権内でもリベラル・ホークのライス大統領補佐官、パワー国連大使が声高に軍事攻撃を主張し、ケリーも強硬路線に転換しました。一方、ヘーゲルとディンプシー統合参謀本部議長は「戦争の前にできることがあるはずだ」と外交路線を主張し対立しました。オバマ大統領自身は軍事攻撃には消極的だったが、ネオコンや議会内の強硬派の圧力は強まる一方でした。
8月21日にシリア国内で化学兵器が使用され多数の犠牲者が出たことを受けて、英仏はシリア政府が使用したとして軍事介入を主張し始めオバマ大統領も証拠が出れば軍事攻撃をすると宣言しました。これに対してロシアのプーチン大統領が強硬に反対、米露の対立に発展しかねない緊迫した情勢となりました。鍵を握るのは米露関係でしたが、ラブロフ外相がシリアが学兵器を破棄することを条件に軍事攻撃の中止を提案、オバマ大統領がこれを受けて軍事攻撃は中止されました。まさに瀬戸際の外交交渉でした。

9月の国連総会ではイランのロハニ大統領とオバマ大統領の動向に世界が注目、電話会談で1979年以来初めて大統領同士の直接対話が実現しました。両国はイラン核問題に取り組んでいくことを約束し、6カ国協議が再開しました。このイランとアメリカの宥和路線は中東地域に大きな地殻変動をもたらしました。サウジアラビアは国連の非常任理事国の椅子を辞退して反発の意思を表明、イスラエルも反発しアメリカ議会へのロビー活動を活発化させて巻き返しを図りました。しかし、宥和路線の流れを止めることはできず、11月の6カ国協議ではケリー長官とラブロフ外相も参加して解決への道筋をつけ、イランとは核問題で合意に達し、イランは経済制裁の緩和を手に入れた。次に世界が期待するのはオバマ大統領のイラン訪問です。

ケリー長官は就任当初の演説で「外交を優先する」と述べたように、活発な外交を展開してシリア問題、イラン問題を解決に導きました。だがその功績はロシアのラブロフ外相というカウンターパートあってのことです。「ケリーの年」は同時に「ラブロフの年」ともいえます。今年は米露が見事に協調して「外交」が勝利した年でした。