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政界酒豪列伝


2015年1月15日
丹羽文生


忘年会に新年会、送別会に歓迎会・・・。アルコールが苦手な筆者にとっては少々辛い季節でもあります。学生時代に随分と修行したのですが、どうもアルコール分解酵素が少ないようで、直ぐ顔が真っ赤になります。

永田町の住人たちも昨年末の「師走決戦」が終わって、ようやく一段落したかと思いきや、宴会ラッシュが続いているようです。一晩に5件、6件の梯子は当たり前。国会議員の中には、次の会場に向かう前にトイレに入り、喉に指を突っ込んで胃袋に溜まった酒を吐き出すという荒業を遣って退ける者、酒好きの知り合いをアルバイトとして雇い、「秘書」の名刺を持たせて宴会回りをさせる者もいます。

それにしても、政治家と酒に関する名珍エピソードは枚挙に遑がありません。「酒は呑め呑め呑むならば」の黒田節を引き合いに出すまでもなく、立身出世した人物には実に多くの「アルコール武勇伝」が残っています。

有名なのが初代首相の伊藤博文です。1909年10月26日、伊藤は、中国のハルピン駅で、韓国の民族運動家である安重根が放った銃弾を受けて倒れますが、息を引き取る直前にもブランデーを口にしています。愛酒家の伊藤らしい最期でした。

伊藤に次いで第2代首相になった黒田清隆も、相当な酒豪で知られました。伊藤が宮内大臣を辞めた際、自らの後継に黒田を推薦するも、明治天皇は酒癖が悪いことを理由に黒田の就任を許可しなかったという笑うに笑えないエピソードが残っています。何しろ黒田の酒乱は桁外れ。誰彼構わず喧嘩を売り、時に腰に挟んでいたピストルを抜いて打ちまくるほどでした。

酒が原因で大臣ポストを棒に振ったのは「大トラ大臣」と渾名された民主自由党の泉山三六でした。1948年12月13日、当時、大蔵大臣だった泉山は、衆議院大蔵委員会のメンバーを招いて開かれた国会内の食堂での会食中、あろうことか泥酔して隣に座っていた民主党の山下春江を廊下に連れ出しキスを強要。当然、国会は大騒ぎとなり、泉山は大蔵大臣を辞任、挙句の果てに議員辞職に追い込まれました。

政治家の場合、酒が弱いのであれば、最初から呑めないと宣言しておいた方が無難です。呑めると言っても中途半端ではいけません。仮に100人の宴会で「お流れちょうだい」中にダウンしたら赤っ恥を掻くどころか顰蹙を買います。酒は「百薬の長」と言われますが、時に「百毒の長」になることも肝に銘じておくべきでしょう。皆様も節度ある飲酒を・・・。