グローバルナビゲーションへ

本文へ

フッターへ



サイトマップ

検索

TOP >  コラム >  もう、マスクをやめよう!――危機管理には「適度性」が重要

もう、マスクをやめよう!――危機管理には「適度性」が重要


2022年9月
遠藤 哲也
*2020年10月、2021年6月の当コラムの私の記事もご覧ください

 先日、パリから帰国した歌手の宇多田ヒカルさんが、東京は屋外でも「皆さんがマスクしていらしてちょっと驚いた」と述べていました。コロナは昨年までのもの、となりつつある欧米等の巷を見てきた帰国者には、日本だけ別世界のようと語る人が少なくありません。人々に「疫病」の存在を意識させ続ける象徴としてのマスクも、ロンドンやパリの街角ではごく稀となり、世界の航空各社は機内でのマスク着用を任意とし、フィンランド航空のHPで警告されている、訪問者にマスクを強要する国は日本を含めて6ヵ国だけです。

 私が子供の頃からマスクは病気の人がするものだと言われていましたし、2020年初頭でも感染症の専門家は、マスクは症状のある人のみがすればよいと述べていました(但し、咳症状が出始めたらマスクに加えて、咳マナーと適宜のマスク交換が必要です)。

 マスクの効果は実験室で調べた素材の性能ではなく、大衆が半日も着用する事を前提に考えねばなりません。マスクに新型コロナの市中感染の防止効果が見出せない事はデンマークでの大規模RCT(ランダム化比較試験:高信頼度の疫学的エビデンスとされる)で示されましたし、2019年にWHOが集めた10件のRCTでも二次感染の予防効果には否定的でした。事実、過去最多の熱中症搬送率となった今年、コロナ・ウイルスを秒殺する紫外線が降り注ぐ酷暑の中、人通りの無い裏通りを黙々とマスクをして歩くという、笑うに笑えぬ中世の迷信のような行動を多数の人がとり続け、ブースター接種率も高い日本が、4週続けて世界最高の陽性者発生率となっています。

 気体は通り易い所を通ります。業務用の防塵マスク等には着用時の「漏れ率」という概念がありますが、市販の不織布マスクでの一般的漏れ率は86%~100%などとされます。つまり、布製だろうが不織布製だろうが、大半の人々はマスクの隙間で呼吸をしています(簡単に喫煙や冷気中での吐息で確認できます)し、咳をすれば側方などに噴出します。多少、着け方を整えたところで、時間が経てば隙間が生じます。本来は不織布といえども密着していれば相応に肺負担があるはずで、皆が半日着けて平気でいられる物に大層な効果があるべくもありません。それにマスクは薬機法上は雑品であり、民間規格も任意です。流通品がどんな衛生環境や製法で作られているのかもわかりません。この程度のものが「していないと恥ずかしい」、「マナーだ」などと言われてきました。

 マスクの意義は飛沫(droplet)を遮断する事だとの意見もあります。しかし、90㎝離れれば咳による顔粘膜への飛沫付着はほとんど無いとした実験もありますし、通常の日本語会話であれば大粒飛沫など滅多に出ません。それに、昨年から新型コロナの主感染経路は、飛沫感染ではなくエアロゾル感染だと世界的に考えられています。

 テレビが流した可視化グラフィック映像では、「微小飛沫」(エアロゾル:本当は液滴以外は飛沫と呼ぶべきではない)が何mも飛ぶように示されましたが、その中に感染力を持つウイルス粒がどれほど含まれるかは語られませんでした。しかし、生物学者の吉田賢右氏、ウイルス学者の宮沢孝幸氏はそれぞれ、感染者の口から出るエアロゾル約1万個、1万5300個に含まれるウイルス粒が1個程度との算定を示しています。1分間の会話や呼吸で生ずるエアロゾルの数が約9千個とか1万個とのデータがありますから、何らかの条件下でウイルスが長時間不活化せずに滞空したとしても、免疫を抜けて感染が成立する程の量になるには、狭く換気の無い空間に相当の長時間、発症した感染者と共に滞在する必要があるでしょう。私は、呼気や会話よりも、咳への対策をなぜ強く言わないのか、以前から不思議でなりません。

 また、仮にマスクに会話飛沫の排出・滞空を防ぐ可能性が多少あるとしても、病気自体のリスクの小ささ(オミクロン株で更に弱毒化)や不顕性感染の可能性の低さからして(JAMA誌掲載のメタ分析では家庭内感染でさえ、発症前を含めた無症状者からの二次感染は千件に7件のみ)、今、マスクが必要なら毎年の季節インフルなどでも必要な事になります。ウイルスを排出すべくもない健康人全員に着けさせるやり方は、社会的負荷ばかり大きなものです。

 マスクの悪影響についても:口呼吸になりがち(特に子供に顕著)で呼吸器にウイルスが直入するリスクを高める;パーティション同様に空気の流動を妨げ、ウイルスを吸引し易くなる;マスクに付着した飛沫が乾燥した後の飛沫核が一気に飛散する可能性;血中炭酸ガス濃度の上昇や、不織布マスク等からのマイクロ・プラスチック、一部製品の接着剤/漂白剤等の長期吸引による健康被害の可能性;言葉が聞き取りにくく、表情での伝達も困難;子供が表情を認識したり、表情で意思疎通する機会が無いなど発達への影響;難聴者が唇を読めない;暑苦しさの心理的影響も含めた熱中症リスク;万引き被害増、そして社会のあらゆる場面においてコミュニケーションを阻害すると共に、いつまでも疫病の存在を意識させ続け、活き活きとした自由な社会の回復を阻害するなど数々の個人・社会への害が指摘されます。 

 PCR検査、集団接種支援、病床確保、飲食店の時短等への、ケースによっては払い過ぎとしか思えぬ額の公金支出が一部業種にコロナバブルを齎している一方、多数の廃業と失職者、女性や子供の自殺、DV被害の発生を招き、人々の活き活きとした生活を奪ってきたコロナ対策は、適度の換気以外は、効果が覚束ない一方で、個人的・社会的な有害性が指摘されるものばかりです。(例えば、予防接種についても、今年3月、ファイザー社CEOは自社の予防接種薬について「感染予防の効果はあまり高く無い」と述べました。一方、新型コロナ予防接種による副作用疑い報告や被害の訴えが多数出ています)

 オミクロン株になった今でもTVは今日の感染者数を報じ続け第七波と騒いでいますが、日本感染症学会は「普通に経過すれば普通の風邪と大差はない」病気だと述べました(通常の風邪でも普通に経過せずに重篤化する事はあります)。愛知県の大村知事は、最近の県内の(コロナ統計上の)ほぼ全ての死者、重症者は、コロナが要因で死亡・重症化したわけではないとして、他の病気や事故による死者・重症者を、検査で陽性ならコロナ統計の死者・重症者に含めている現在の公表法の変更を国に求めました。

 危機管理は常に「適度」を目指すべきです。新型コロナは安倍元首相の退任前の提言や、全国知事会等の要請通りに五類感染症に指定変更すべきだし、マスク着用の有無を濃厚接触の判断素材にする非科学的な疫学調査基準は直ちに廃止すべきです。 

 2020年の一年だけで防衛費15年分の国費77兆円(NHK報道による)がコロナ対策に蒸発しましたが、膨大な支出により現在の日本の国債発行残高は千兆円を突破しています。殺伐としてきた国際環境の中で円安も継続しており、もう、この程度の病気に湯水のように国費を浪費している場合ではありません。社会全体を圧迫・相互監視化し、若者も高齢者も全ての人々の活き活きとした生活時間を奪い続けているのも馬鹿げ過ぎています。もうコロナで騒ぎ続けるのはやめて、自由で活気ある2020年以前の社会を取り戻すべきです。