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香港問題を考える


2020年8月
富坂 聰


香港で国家安全維持法(国安法)が動き始めました。8月11日、日本語を流暢にあやつる香港の民主活動家・周庭(アグネス・チョウ)さんが逮捕され、ワイドショーは騒然です。

「彼女まで逮捕するのか」というのが率直な感想です。恥ずかしながら黄之鋒(ジョシュア・ウォン)さんの逮捕は想定内でしたが、チヨウさんはギリギリ免れるのでは、と考えていました。チヨウさんも最近は明らかに自粛モードでしたから、本人も意外だったのでしょう。国安法施行後、香港に広がた若者の無力感は、今後さらに加速することでしょう。

北京は恐らく、国安法への批判や反発が内外から集中するいま一気呵成に問題を処理してしまおうと考えているのでしょう。そして1~2年後には「あんなに大騒ぎした国安法も、結局大した変化はなかったな」と香港の人々が思える状況を作り出す戦略です。そのための大規模な経済対策も進めています。

ベースにあるのは天安門事件後の経験です。
この法律のターゲットはデモの過激なリーダーと外国や、その外国とのつながりですが、デモのリーダーを香港市民から切り離し、孤立させることも重要な目的なのです。
ですから当初は「一部の人」だけに影響が及ぶ形で処理するはずです。しかし法律が定着した後、本当の効果が発揮され始めます。反政府の芽を「国家転覆」の名の下で早期に摘み取る効果です。

もはやイギリスが人工的に創り出した東洋の真珠の自由な空気――といっても政治的な権利は与えられませんでしたが――は残念ながら失われ、大陸化が進むことでしょう。
これを受けていま日本では、香港問題で「政府がきちんともの申せ」との声が高まっています。しかし私は、この問題への対応はむしろ慎重であるべきだと考えます。

理由は複数ありますが、まず国安法が香港基本法に照らして不備がないこと。そして香港自身の民意が定まっていない――およそ4割が北京を支持――こと。さらに民主化運動の熱狂の後に混乱が予測――アラブの春などの例など枚挙にいとまがない――されることなどがありますが、なかでも気になるのはデモの目的が曖昧である点です。言い換えれば、何を以って勝利とするのか、という問題です。

実は今回の国安法の強引な施行は、ある意味香港の活動家自身が「藪を突いて蛇を出す」結果だったからです。

北京が国安法導入を急いだのは、昨夏の反逃亡犯条例のデモがきっかけです。当時、民主活動家たちは「政治犯が北京に送られる」と危機を訴えましたが、北京がそれを求めていたとは思えません。条例など関係なくても引っ張っていっていたのですから。

不要な条例で黒幕にされ攻撃された北京はかねてから敵視していた「香港独立派」とその背後のアメリカと台湾に牙を剥いたのです。

そもそも北京は香港の「一国二制度」を大きく変更することを望んではいませんでした。西側先進国から中国に直接出せない技術を香港経由で入手できることや、何より香港の「一国二制度」の成功は台湾統一に貢献します。外国との無用な摩擦も避けたかったはずです。つまり国安法施行は北京にとってもメリットの薄いものだったのです。

事情は香港の人々も同じです。トランプ政権は香港のために制裁を発動しましたが、そのダメージは北京よりも香港経済を直撃し、人々の生活にも甚大な影響を及ぼします。

一方、得をしたのはアメリカです。国際社会に中国の異質さを宣伝できたのですから。
言論の自由、民主主義と聞けば反射的に声を上げたがる日本人ですが、例えばインドがカシミール地方の自治権はく奪や反政府の発信をするジャーリストを逮捕し続けるフィリピンやタイの行為には無反応です。ロヒンギャの労働者を違法に酷使しているとの疑惑がある水産物も輸入し続けています。より身近な問題では現代の奴隷と海外から批判された研修制度も放置してきた日本人がなぜ香港で積極的なのは、中国嫌いだからでしょう。

本当に香港を応援するのなら、こんな感情を廃し香港人がきちんと権利を獲得できるよう助言することではないでしょうか。

それは反逃犯条例デモを当初のように整然と抑制されたなかで行うことでした。非暴力は当然ですが、目的を条例撤回に絞り、決して香港独立や反中国に拡大しないよう助言することは最も効果的な応援になったはずです。

思い出されるのはビデオ出演したチヨウさんと共演したテレビ番組です。司会者が、デモが暴力的になった点を質すと、彼女は「われわれの声が届かないから仕方がない」と答えたのです。直後のCM中、解説者は「いま、武装闘争を肯定した? まずいな」と漏らし、スタジオは気まずい沈黙に包まれました。

地下鉄を止めたり空港を占拠したり道路を寸断し反対派の店を襲撃する暴力は、どんな理由があっても許されません。それさえ指摘できない自省の沈黙でした。

歴史の「もし」は無意味でしょうが、整然としたデモを続けていたら結果はちがっていたのではないでしょうか。事実、香港はこれまで何度も北京から譲歩を取り付けてきたのですから。